森の中で朽ちて倒れる木
晴天にもかかわらず雷のような轟音が響き渡り、私は身体を起こした。周りを見渡しても特別何も変化はなく、いつもの森の静けさに戻っていた。
午後になって、小道を散歩して初めて、その音の正体を知った。
車道に近い森の小道の傍らで、真っ黒に腐った木が他の樹々に寄り掛かるように倒れていたのだ。
いつもはただ黙って立っているだけの木。ときおり葉々が衣擦れのような音を立てるが、それだけ。何が起きても文句も何も言わない沈黙の木たち。
しかし、彼らも生きている。と、そんなことを思い知らされた。
週末を森の中で過ごすようになって五年の月日がたつ。それまでネオンと喧騒の世界にいた私にとっては、百八十度違う世界だった。ただ、幼少時代を岡山県の田舎で過ごした私にとっては、人気のない自然の中に暮らすのも苦痛には感じない。
庭には、大きな松の木があって、おそらく樹齢300年を超えるのではないかと想像する。ささくれだったごつごつした幹に手を触れると、それが地面からみゃくみゃくと水を吸い上げているのが感じられる気がした。
彼には彼の体内時計がある。一つ一つの細胞の時間遺伝子が、彼の寿命を知っている。そして、彼もいつかは倒れて死ぬ。
輪廻転生という概念があるが、自然のメカニズムが解明される前から、私たちはこの世は循環していることを知っていたのだろうか。それとも、落ち葉が腐って土になる姿を見て、昔の人は「生まれ変わり」というアイデアを思い付いたのかもしれない。
彼も私もいつかは消えてなくなるが、その一部が何かに還元されるなら、失くなってしまうのもそう悪くはない。
森の中で朽ちて倒れても、そのまま横倒しにはなれない者もいる。隣人の樹々にひっかかって、支えられて、完全な死骸となることができない。
鮮やかな新緑に発光する若い樹々の間に傾斜して、黒々とした醜い老体をさらし続ける。もう、水を吸い上げることもなく、内側から乾燥して。
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