お金に対する各国民の態度の違いについて
なんだか、たいそうなタイトルを付けていますが、「各国民」といっても全世界の国々を比較したものではありません。ひとりの旅行者として訪問したことのある国の範囲内でお話ししています。
私が今まで経験した、お金にまつわるおもしろい事象を集めてみました…。
インドネシア人のケース
2018年末、インドネシアの離島を旅行した。その島はインターネットがなく、電気も1日4時間しか使えないという、ネット依存の私にとってはかなり特殊な場所だった。
そこで出会った、あるドイツ人旅行者が興味深いことを言った。
彼らは報酬としてお金を受け取るということに対して、ネガティブな感情をもっているのではないか、というのだ。
言われてみればそうだな、と思った。よく観察していると、確かにゲストハウスのオーナーは、私たちが支払う宿泊代金をとても気まずそうに受け取るのだ。
私たちは彼らの提供するサービスに満足し「ありがとう」と言いながらお金を渡すわけだけど、彼らは口では「Thank you」といいつつも私たちの目を見ようとしない。どうも、お金を受け取るということに「うしろめたさ」を感じているらしい。
これがインドネシア人の性格だと一般論化するつもりはない。しかし、ふと連想したのが、日本人のケース。日本人もお金のことを話題にするのは嫌がるし、「お金を稼ぐこと」=「卑しいこと」という考えも、消滅したわけではないと思う。
中国人のケース
これが、中国や、東南アジアの中でも特に観光地といわれるところでは一変する。
中国人はお金の話をすることにとてもオープンだし、彼らと会話しているとお金を稼いで豊かになることへの罪悪感みたいなものは感じられない。
どちらが良い悪いといっているのではなく、同じアジアの中でもこんなに差があるのはおもしろいと思うのだ。特に遠く離れたインドネシア離島の人々と私たちに、似た感覚があるのは興味深い。
生産物と労働サービス
勝手に想像するに、おそらく彼らは、一時的な生産物(農作物や採取したもの)を金銭に変えることには抵抗がないのだろうが、サービスや労働の対価としてお金を受け取ることに慣れていないのではないかと思う。
日本人も、生産物の代金を払うことはOKだが、商品を右から左へ動かすだけでお金を儲ける(いわゆる「商売」)については否定的な感覚を持つことが多かったし、今もその余韻が残っているのかもしれない。
―――それで、ネットビジネスなんかは、その中でもとりわけ「アヤシイ」商売の一つなのだろう、笑。
そして、私が住んでいるカナダの街では?
noteの記事にも書いているが、カナダ、少なくとも私が住んでいるモントリオールでは、路上の物乞いがかなり図々しく「投げ銭」を請求してくる。
紙コップを差し出し、
「I am collecting money to buy food.
(私は食べ物を買うためのお金を集めています)」*実際にはフランス語で話しかけられることがほとんど
と、堂々と言ってくる。
アジアで見かける物乞いのように、片手や片足がないとか、ボロボロの服を着ているとかいう様子はない。いたって健康そうで(だいたいは、私よりも体格がよい)、服装も普通の服を着ている。
まるで、「仕事をしない」選択をした彼らが「余裕のある他人」から施しを受け取るのは当然の権利だ、といわんばかりだ。
「何なんだろう、この人たちは」と、私は、いつも遠回りして彼らを避けるようにしている。食べ物を買うためのお金なら、私の方が集めて回りたいくらいだ。
アジアと西洋
健康そうに見える彼らだけれど、おそらく精神的に働ける状態ではないのだろう。
それでも、自分より背も高くがっしりしている彼らに「金を出せ」と脅されているように感じる私は、正直、「仕事しろよ」と思わずにいられない(冷酷な私)。
私も夫も、そういった路上生活者にお金を渡したことはないが、あるとき憤慨して
「どうせあの人たち、ああやって集めたお金の所得申告もしてないんでしょ」
と私がいうと、彼にこういわれたことがある。
「それは、ひどくアジア的な考え方だね」
彼が言うところの「アジア的考え」の真意はまだよくわからない。今度改めて聞いてみたい。
チップ社会
ついでに言っておくと、カナダもチップ社会だが、チップの請求というのもかなり堂々としている。
レストランやちょっと安めの食堂でも、レジカウンターにチップ箱が置かれている。お会計の時にはチップ箱を指さし、何かブツブツ言ってくる。「チップ、入れてけ」みたいな感じのことを言われているのだと思う。
ウエイターとしてサービスを提供しているのだから、チップを受け取るのは「当然の権利」なのである。
チップって、本来そういうものなのか? と、いつも不愉快に疑問に思うので、コチラではレストランにもほとんど行かなくなった。
(*この記事は、お金に対する人々の態度の違いについて書いていますが、決して、どこの国の人の考え方が良いとか悪いとかということを述べているものではありません。単に、感覚の違いがおもしろい、というのが本文の趣旨です)