はな劇場

地下1階。土壁に囲まれた、アップライトピアノとステージだけの場末パブ。Googleマップには載っていません。

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なぜ書き続けるのか…発信せずにはいられない私の原動力

私が本格的にブログを書き始めたのが2015年、最初は純粋に(?)ブログで稼ぐことが目的でした。

ブログを書き始めてから、今さらのように「私、書くことが好きだわ」と思い出した私。

 

その後、ブログを書き続けていることで、いろいろなトラブルがあったりして、決して常にハッピーだったわけではありません。

それでも、書くことを止めることはできなかったし、何らかの形でオンラインで発信することを辞めることはできませんでした。

それは何故なのか。

 

私はどうして、こんなにも何かを発信しなくてはいけないのか。

 

私の「伝えたい」という想いの原点はどこにあるのか、自己紹介の一部として書いておきたいと思います。

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佐高信と魯迅の「反骨精神」

20代の頃、よく読んでいたのは佐高信氏の著書や社会派小説(経済小説)と呼ばれるジャンルの本でした。当時、佐高氏の本によく登場したのが魯迅の「反骨精神」です。

 

反骨精神なんて言葉、ちょっと古臭く感じるかもしれません。

彼らは、体制や会社の奴隷にならず、自分の頭で判断し行動せよということを主張します。

 

魯迅は日本の国語の教科書にも出てきますね。

日本においても中国においても激動の近代に生きた思想家であり、作家、翻訳家でもありました。

 

今よりもさらに自由な発言ができなかった中国において、その思いを伝えるために魯迅は、メタファーと風刺をちりばめた「フィクション」を書くという手法を採りました。

そのため、彼の作品は難解で、わかりにくい点が多いです。

 

その魯迅の本をもっと読んでみたいと思ったのは佐高氏の影響です。

本格的に日本を離れて海外で暮らすという段になって、あわてて図書館で魯迅作品全集を読み漁ったのを覚えています。

解説や解釈本を読んでいる暇はなく、中身をほとんど理解できないままでしたが。

 

最初の海外、留学先が中国大陸だったので、そこで魯迅の原本を買いました。

翻訳本を読んでも意味が分からなかった作品ですからね、もちろん、中国語はなおさらわかりません。

それでも、「いつか読めるようになりたい」という想いを捨てきれず、今も手垢のついていない状態でカナダの自宅の本棚にひっそりと置かれています。

 

佐高信氏の著書との出会い(彼の本すべてを読んだわけでも、主張のすべてに同感したわけでもないのですが)と、魯迅の思想を振り返ってみたことが、その後の私の考え方に影響を与えたことは間違いないと思っています。

 

―まわりの人がもっともらしく主張することを、何も考えず鵜呑みにするのはやめよう。

―体制や政府や会社、大きな組織、さらには社会構造の中で「奴隷」になるのはいやだ。

 

そんな想いが私の最も根幹に近いところに、ずっと根を張っているのです。

 

そして、その「ぶすぶす」とくすぶっていた想いが、「伝えなければ」という衝動に変化したのが、伊藤詩織さんの事件でした。

 

伊藤詩織さんのドキュメンタリー

2018年6月28日、イギリスの報道局BBC Twoで伊藤詩織さんにまつわるドキュメンタリーが放映されました。

タイトルは「Japan’s Secret Shame(日本の秘められた恥)」、日本の性犯罪を取り巻く社会と法律、行政をモチーフとしたものです。

 

私はそのときカナダに住んでいて、イギリスのBBCを視聴できる環境ではありませんでしたが、しばらくの間は動画サイトで閲覧することができました。

一度視聴するだけでは物足りず、5回以上は繰り返して閲覧したものです。

 

その事件が起こったのは2015年ですが、恥ずかしながら、私はこのドキュメンタリーを見るまで事件のことは知りませんでした。

 

2015年4月3日、伊藤氏は就職先の紹介を受けるため、当時TBSテレビの政治部記者でワシントン支局長だった山口敬之と都内で会食しました。その夜「望まない性行為」を受けたとして、後日、準強姦容疑で警視庁へ被害届を出しました。

 

この件に関連して最も驚いたのは、彼女が女性を含む日本人の多くからバッシングを受けた事実です。

なぜ、被害者の彼女がそれほどに攻撃されなければいけなかったのか、私にはまったく理解できませんでした。

 

もし、映画「新聞記者(2019年公開)」で暗示されているような政府による情報操作があったのだとしたらと思うと、ぞっとします。

 


www.youtube.com

 

書き続けることで何が得られるのか

伊藤詩織さんのドキュメンタリーを見た瞬間が、一つの分岐点だったのかもしれません。

「このまま黙っていていいのだろうか」「言いたいことをいわなくて過ごしていいのだろうか」という衝動から内側からこみ上げてきました。

どんなに些細な活動でもいい、発信することを辞めてはいけない。

 

このとき、そう強く感じたのです。

 

残念ながら、日本人の方、特に日本にお住いの日本人の方は、この手の話題が苦手のような気がします。

私はこれまでにも、何度か異なるプラットフォームで、このドキュメンタリーに関連して女性の生き方や人権について書いたことがあります。

 

なぜ女性はいつも「あなたも悪い」と言われるのか|Medium

「嫌よ嫌よも好きのうち」で束縛される女性の性欲|Medium

 

伊藤氏の著書「Black Box」も読み、レビューを書きました(ちなみに、この書籍タイトルはあまり好きではありません)。

 

「ブラックボックス」(伊藤詩織著)を読んだレビュー|はてなブログ

 

ずいぶん前に書いたものですので、文章も一段と下手ですが、それにしても読者にはウケなかったですねー(苦笑。

 

私の話を聞いてよ!

上のMediumで掲載している記事は、どちらも最初はnoteで公開していた投稿です。

でも、noteにはどうも男性中心的なユーザーが多いみたいで、男性好みの文章の方が読まれやすいみたいなのですね。それで、noteで活動すること自体、消極的になりました。

 

女性の権利という問題になると、男性が悪者扱いされるように感じている人もいるでしょう。でも、実はそうでもありません。

この問題は女性の問題であり、女性が自覚し、女性から主張を発信していかないと、どこまでいっても解決できない問題です。

それは、欧米の女性たちが未だに女性の権利獲得のために奮闘している姿をみればよく分かります。単に日本の問題ではなく、世界全体の問題なのです。

 

ただ、書き手としては、どんなふうに書いても読者の反応がないというのは、ややさみしいことです。

このような問題はヘビーと感じられるためかもしれません。

 

そうだとしても、ブログ副業などに関する内容であればコメントがついたり質問が来たりするのに、「人権」というテーマになったとたん、みんな静まり返ってしまう…

 

特にnoteに掲載した時は、まさに「暖簾に腕押し」という印象で、このまま書き続けることに意味があるのだろうかと疑問を感じたものです。

 

そんなときに思い出したのは、香港で多国籍スタッフと働いていたときに言われた、日本人上司の言葉でした。

「相手が話を聞いてくれないときは、ちゃんとわかってくれるまで、しつこく、くり返し伝えるしかない。我慢競争みたいなものよ。あきらめた方が負け」

 

―――だから、私もわかってくれるまで書き続けようと思います。

私もみなさんと同じです

私は普通の人間です。壮大な使命感を持っているわけでもなく、魯迅のように命をかけてまで主張を書き続けるほどの勇気もありません。

それでも、やはり何らかの形で伝えたいことがあります。

 

それはきっと、あなたも私も同じ人間で、肌の色や瞳の色、髪の毛の色が違っていても、身体の内側はほぼ同じだということ。

脳みその大きさも大して変わらないだろうし、内臓の機能もそれほど相違ないはず。けがをしたときに流れる血はみな赤い。

 

住んでいる場所も環境も違うけれど、失敗もするし、落ち込むこともある。

ときには、とてつもなく意味のない不安におそわれることもあれば、些細なことで有頂天になることもあります。

 

そういうどうしようもなく変えることのできない自分を、包み隠さず書いていきたい。

それがだれかに勇気や励ましを与えることができるなら、なおさらです。

 

なによりも、あなたのように、たった一人でもまた読みに来てくれる人がいる限り、書くことを辞めることはないでしょう。

たとえそれが「静かなる読者」であったとしても。

 

 

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