なぜ日本人は白い肌にあこがれるのか
「なんで、日本人は白くなりたいの?」
と、昨日の夕食時にイギリス人の夫が聞いてきました。
どうやら、職場のオンラインミーティングで、人種差別に関するセッションがあったそうです。
テーマは、現実における白人男性の社会的優位性?みたいな感じ。
どのようなメンバー構成だったのかはわかりませんが、その中にフィリピン人の女性がいて、
「非白色人種が白い肌になりたいと思うのは、植民支配側になりたい欲求からだと思う」
というような発言をしたのだそうです。
うちの夫は「それは、なんか違う」と感じたそうですが、彼は白人男性であるがゆえに、意見を言い出すことができなかったとか。
たしかにフィリピンは植民統治されていたことがあるので、支配する者にあこがれたからという理由は通用するかもしれません。
でも、白い肌にあこがれるのは、フィリピン人と日本人だけではありません。
おおよそアジアのどこの国においても、「肌を焼きたくない」「色白でいたい」と思っている人は多いです。
それはちょっと旅行をすればすぐわかります。
たとえば、ベトナムの女性の中には、たとえ蒸し暑い日でも、長袖に手袋、帽子を身につけて、紫外線をカットしている人は多いです。
アオザイも長袖が一般的ですよね。暑そうだなーと思うのですが。
ミャンマーも、ほほに「タナカ」と呼ばれるクリーム?を塗って日焼けから肌を守ります。
こちらは、「白くなりたい」というよりも、単に紫外線で肌を傷つけたくないという思いからかもしれませんが。
タイ人もインド人も、アジア以外ではアフリカ人でも、「白くなりたい」と思う人は本当に多いのです。
ところが皮肉なことに、欧米人の中には「日焼けしたい」「青白い肌が嫌だ」という人は少なくありません。
欧米人は、太陽が大好きで、ちょっと天気のいい日はすぐに肌を焼きたがる人もいます。
これは、「日焼けしていること」が富の象徴だからといわれています。
「青白い」肌のままでいる人は、「バカンスに行って日焼けする暇もない貧乏人」という印象を与えてしまうのですって。
だから、こんがり小麦色に焼けた肌にあこがれ、セレブやお金持ちはせっせと肌を焼くのです。
話をアジアに戻しましょう。
「統治支配側になりたかったから、白い肌にあこがれる」とフィリピン人の発言を聞いて、夫は思いました。
「それは、違う。日本もタイも植民地支配された歴史がないのにも関わらず、彼らも白い肌にあこがれているんだから」と。
第二次世界大戦後、日本は一時的にアメリカの統治下にはいりました。
でもそれを除いては、外国に植民地支配されたことはありませんよね。
タイも、歴史上植民地支配から免れた、アジアではめずらしい国です。
では、なぜ、日本人は白い肌にあこがれるのでしょうか。
「日本人」とひとくくりにしていますが、どちらかというと「日本人女性」というのが正しいのかな、と思います。
もしかしたら、最近は男性やその他の性別の方でも、「白くなりたい」と思う人はいるのかもしれません。
でも、「色白は七難隠す」と言葉は主に女性を対象としていると思うのです。
「色白は七難隠す」とは、肌が白ければ、そのほかに欠点があってもそれに隠されてしまって気にならなくなるという意味ですよね。
それだけ肌が白いということは、「美しさ」の基準として重要な要素だった(あるいは「である」)ということでしょう。
世界大戦のはるか以前から、「美人画」に表される女性たちは、私の知っている限りみな肌が白いです。
色白が美人の条件とされるのは、それだけ昔にさかのぼるということです。
その理由の一つとして、日本、あるいはアジア各国において、「肌が白い」ことが「富」の象徴だったからでしょう。
日本の平安時代の「美人」の代表である小野小町はこんなふうに描かれています。
Suzuki Harunobu, Public domain, via Wikimedia Commons
- 肌が白く
- ふくよか(しもぶくれの顔)
- 黒く長い髪
- 目や鼻などのパーツは小さめ
以上が、平安美人の条件でした。
ふくよかさが好まれたのは意外に感じる方もいるかもしれません。
小さな目、切れ長の目、小さな鼻が美しいとされたのも、顔が太っているために、パーツが小さく見えたということなのでしょう。
少し時代が下って、江戸時代の美人画を見てみると、
Kitagawa Utamaro, Public domain, via Wikimedia Commons
江戸時代になっても、基本的な美人の条件は変わらないように思います。
現代では、ふくよかさがもてはやされることはあまりなく、スリムな体形やすっきりした顔がよしとされます。
また、顔のパーツについても、小さな目や鼻よりも、ぱっちりした目や高い鼻が好まれるようになりました。
しかし、いずれの時代においても、「白い肌」は一貫して美女の条件となっています。それはなぜでしょうか。
平安時代は、日本最古の長編小説「源氏物語」や日本最初の随筆「枕草子」が生まれた時代です。
これらの文学はいずれも貴族の生活から生まれたものでした。
庶民がそのような文学を通じて、貴族の華やかな生活に対するあこがれを強めたことは間違いないと思われます。
そして、彼ら貴族の特徴の一つが「白い肌」だったのです。
つまり、私たち日本人にとっては、白い肌こそが「富」の象徴だったのです。
平安時代、ふくよかさが好まれたのも、同じ理由からでしょう。
ふくよか=太っていることは、「富」の象徴でした。
少し前まで、中国においても、太っていることが美しさだとみなされる時代があったと聞いています。
農民のように戸外労働する必要がなく、日常において日焼けすることのない貴族の女性たちにおいても、「白い肌」へのあこがれは強かったようです。
その証拠に、彼女たちは日の当たらない宮殿の中においても、「おしろい」を塗って肌をより白く見せようとしていました。
おしろいといっても、今の化粧品にくらべるとはるかに品質の悪いものでした。
ですから、笑ったりするとすぐにはらはらと落ちてしまったり、継続して使用することで肌荒れなどもひどかったことだろうと推測されます。
そこまでしてなぜ、白い肌になりたいのか。
当時の宮殿は採光に優れていたとはいえず、昼間でも明かりが必要なくらいに暗かったようです。
おそらく、彼女たちは、暗闇の中に浮かぶ白い肌に男性が色気を感じることを知っていたからでしょう。
白い肌は、豊かさのシンボルであると同時に、色気の要素でもあるのです。
「黒い髪、白い肌、濃い瞳」が日本人の色気の条件であり、それは時代を超えてこなお、私たちの美意識の根底に存在しているような気がします。