いつも責められるのは情報を発信する側って、おかしくない?
数年前に起こった健康系キュレーションサイトの倫理的問題は、まだ記憶に新しいと思う。
相手が大企業ということもあって、かなり叩かれたわけだけれど、こういう問題でいつも責められるのは情報発信側だけというのが、私には気に食わない。
ハッカーから身を守るにはハッキングを学べ
私は大学で美術教育を学んでいた関係で、商用デザインの講義をとっていた。
そこでおもしろいと思ったのは、確かドイツの学校だったと思うが、子供たちに企業のマーケティング手法を広告から学ばせる授業があるらしい(現在は知らないが、当時はそういうふうに講義内で紹介されていた)。
例えば、牛乳メーカーの広告を見てそれを分析する。一般的な、牛乳商品広告を想像していただきたい。
最初に、「現代の日本人はカルシウム不足である」という事実の告知から入る。
そして、「カルシウム不足によって引き起こされる健康リスク」について、漫画チックなイメージ画を用いて説明。「そのカルシウム不足を補うには牛乳を飲もう!」というクロージングになるわけ。(ちなみに、現在は、こういう手法でのマーケティングはNGになっていると思う)
ネット広告にすっかりなじんでしまった人には、「良くある手法だよね」という話だけれど、これをちゃんと学校の授業で教えているからすごいな、と感心したものだ。
要するに、毎日大量に飛び込んでくる情報を冷静に分析し、フィルターをかけ、自分の頭で考える力を養うことが、教育の目的の一つとなっているのである。
企業の広告戦略に踊らされないためには、「敵」の手法を学ぶのが一番手っ取早い。
空き巣に入られたくなければ、泥棒の手口を理解すればいいし、サイトのセキュリティ対策をするには自分でハッキングを学習するか、優秀なハッカーを雇えばいい。
過保護であるために「打たれ弱く」なる日本人
日本社会は、いい意味でも悪い意味でも過保護だと思う。国民は「甘やかされて」育っている。
過保護にされれば「自分では決められない」「相手のいうことに疑問を持たない」「万が一の時には権威にすがるしかない」人になってしまう。その方が、お上には都合がいいのである。
缶詰商品を開けようとしてうまく開栓できず、指を切ってしまったら、企業に「そんな商品を作ったお前たちが悪い」といってクレームする。
海外の企業だったらどんな反応をするだろうか。せいぜい「それは痛かったね」といって粗品でも送って終わりじゃないかな(多分、よほどクレームしない限りは粗品もない)。
わざわざ開発費をかけて、開封時に怪我をしないパッケージを開発しようとするのは、日本人くらいかもしれない。
私はそういう日本人の細やかさが好きだが、そういう「甘やかし」の累積により、ウブで、ナイーブで、無邪気な「お人好し日本人」を作り出してしまっているのではないかと、考えずにはいられない。
学校では教えてくれない「自己責任」
「今日の掃除当番は私だからきちんと掃除して帰る」こういう子供は「責任感が強い」といわれるけど、それと「自己責任」という文脈での「責任」とは違う。
現在の情報社会にあって「自己責任」とは、幾多もある情報をフィルターにかけ、自分にとって必要で意味のある情報を分析し、理論的に検討して、アクションを起こすこと。
自分で下した判断によってどんな結果がもたらされようが、それを受け入れることであると思う。
「企業さんよ、あんたのサイトこういう記述は良くないから、ちぃとやり直して。うちのおバカな国民が誤解したら困るからさ」
そうして「自己責任」が理解できない「おバカな国民」がまた増えるわけ。
ウェブ上の記事なんかでよくある「自己責任でお願いします」という文言は、「あんたの健康やお金に何かあっても、ウチは責任取らないからね」の丁寧語でしかない。
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広告表示で何の根拠もなく「ナンバーワン!」という表示をしてはいけないと取り締まるなら、海外メディアに向かって何の客観的根拠もなく「日本の警察は世界で最も優秀ですから」なんてことをドヤ顔で言い放つ、無邪気な女性議員を何とかしてほしい。
あれこそ、根拠のない「誇大表現」だ。
政治はビジネスじゃないから、いいのかな? いやいや、政治もお商売でしょ。