あなたと私は、実はそれほど大差ない
5年前、私は香港の喧騒の中にいた。街にはその街の匂いと音がある。
熱帯果物が腐ったような匂いと、湿度90%を超える、肌にまとい付く生ぬるい風、そして慌ただしくテッテッテと、横断歩道の信号機の音。
2003年、人生で2回目に香港を訪れたとき、上海から20時間夜行列車に揺られ、香港の街に降り立った瞬間、潮の匂いを嗅いだ。中国内陸部を13ヶ月ほど「漂泊」したあとの初潮風だった。
私は海辺の人なんだ、と思った。
ここに来る前は、カナダの零下40度の冬世界にびくびくしていた。
それまでの10年近く、日本の冬さえ知らなかったから。でも、やって来てみると、なんてことはなかった。
ただ、氷に覆われた12月のアラスカを飛行機から見下ろすとき、一年中緑に覆われた東南アジアを「エメラルド」と称したヨーロッパ人の気持ちがよくわかった。
私はどこにいても私だ。
その時々で思考の方向性は変わるけど、それは多分、数十センチ動いて方向を変える、列車のレールのようなものなのかもしれない。
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今は森の中で野菜を自家栽培している。
自らの手で人工受粉して実った、ピカピカのズッキーニをグリルしたうえに、オリーブオイルと七味で食べる。今まで食べたどんな高級レストランの料理よりも美味しいと感じる。
そして思い出すのは、1日に数ドルの収入で暮らすミャンマー農村の人の笑顔。
私たちは台所から出る生ゴミで堆肥土を作る。パプリカのヘタもバナナの皮も、土の中に埋めて1〜2週間すると、サラサラの土になる。
パン生地でも味噌でも、上手く発酵したものは肌に気持ちいい。私たちは、発酵の快楽を本能よりも深いところで知っているのかもしれない。
香港の高層タワーにあるレストランで毎晩食事をする人も、ミャンマーの田舎で畑を耕す人も、肌の色や見た目、身につけているものは違っても、中身はだいたい同じだ。
私もあなたもきっと、一つの心臓と一つの胃袋と、ちょっと長ったらしい腸を保有している。
そして、もとはバナナの皮だったふわふわの土を手に取るとき、いつもこういう考えが頭をよぎる。
―――私もいつか、こんなふうに土に還る。
私もあなたも、みんな、地球の一部になる。