はな劇場

地下1階。土壁に囲まれた、アップライトピアノとステージだけの場末パブ。Googleマップには載っていません。

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だから、死刑廃止を考える

先日、中国で拘束されていたカナダ人男性に死刑判決が出たという報道があった。

news.yahoo.co.jp

この報道を見て、こう感じた人は私だけではないと思う。

「冤罪じゃないのか?」

 

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この事件、私にとってはまったく他人事とは感じられない。私の夫はカナダ国籍のパスポートを持っているし、第三国への出張も多い。中国に行くことはほとんどないものの、ここ数年メインの出張先は、西アフリカだ。

 

同時に思い出したのが、「中国もまだ死刑制度が存在するんだ」ということ。

中国だから理不尽なことも起こる、と思うだろうか。日本の司法はそこまで不健全ではない、と言い切れるだろうか。

私は日本のことが大好きだけれど、日本政府は100%信じているわけではないし、「日本の警察は世界一優秀だから、間違いを犯すわけがない」という考えは、まったくもって理論的思考ではない。そもそも「自分たち(自国)が正しい」という思い込みが、これまで戦争を起こしてきたのではなかったか。


死刑賛成派の理屈に「遺族の感情」というものがある。被害者家族の気持ちになって考えられるのであれば、同時にあなたやあなたの家族が冤罪に問われる仮定について、想像してみていただきたい。

冤罪であっても、国家によって殺されることが無ければまだなんとかなることもあるが、死刑にされてしまったら取り返しがつかない。


日本は「先進国の中でも死刑制度を保有する珍しい国」という言い方をされることがある。しかし、私は先進国だから死刑制度は存在するべきではないとか、後進国だから死刑があっても仕方ないという考え方は好きじゃない。そもそも「先進国」というレッテルが気に入らない。

長年存続しているものに対して疑問を投げかけるのは、容易なことではない。でもいつの日か、地球規模で世界中の人が、死刑の存続に疑いの目を向ける日が来ることを願って止まない。