はな劇場

地下1階。土壁に囲まれた、アップライトピアノとステージだけの場末パブ。Googleマップには載っていません。

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インターネットの神話

日本への一時帰国ということで、日本でいろいろ買いたいものがあります。その一つが書籍、デジタルではなく紙の書籍です。

本を購入するとき、ここ数年はもっぱらアマゾンで購入することが多いです。親書だけでなく古本も検索できるので、かなり便利です。それで今回もアマゾンでいろいろ検索していたとき、ふと奇妙な考えが頭をよぎりました。

 

「思想や宗教的な本をアマゾンで購入するのはやめよう」

アマゾンであつかわれている書籍は膨大なので、読みたい本を探すときには非常に便利です。しかし、アマゾンで購入したものはすべて購入履歴として記録されますよね。アマゾンはアメリカの企業。ということは、私の書籍購入履歴もアメリカのデータに蓄積されていくわけです。

娯楽的な本の購入履歴ならかまいませんが、思想や宗教などに関わることとなると、できるだけそういう足跡は残したくないものです。クレジットカードを使って購入する場合も同様ではないでしょうか。VISAもマスターカードもアメリカの企業です。本屋に行ってクレジットカードで購入すれば、その履歴がすべて記録される可能性があるのではないかと。

だから、キャッシュレスとは逆の方向性になりますが、思想的、宗教的に議論をかもし出しそうな書籍は、リアルの本屋で現金購入する方がよいのでしょう。足跡がつかないように。

 

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神経質になり過ぎだと思うでしょうか。しかし、こういう話は昔から日本でもあります。日本では天皇制や天皇のルーツに関する話題はタブーとなっていて、そういう本を書いたりネットに上げたりすると、しかるべき機関から「メッセージ」をいただくことがあるそうです。某国についていろいろ書き込めば、関連の機関から「お問い合わせ」をいただくこともあるそうで。

小説やフィクションだけの話だと思われるかもしれませんね。その解釈は個人にまかせますが、フォロワーが多くて影響力が強い人ほど、反応を得やすいものです。疑うなら、ご自分で試してみてください。

 

インターネットは情報の民主化という風にいわれることがあります。インターネットが発明されたおかげで、私たちは広い範囲から情報を収集できるようになりました。膨大な情報を蓄積して、複数の人と共有することも容易です。自ら情報を世界に向けて発信することもできます。

しかし、それとは裏腹に、インターネットを使用する限り私たちは常に監視下に置かれることになってしまったのです。ネットを介して行われる私たちの活動は、すべて記録され、いつでも情報として閲覧される可能性を持っています。自分のIPアドレス(ネット通信における住所みたいなもの)を隠して通信することも可能ですが、普通の個人が買い物をしたり調べ物をする際、毎回わざわざそういう裏技を使うでしょうか。

 

スマホの位置情報をオンにしているだけで、自分の居場所がすぐに探知可能になっているわけです。その網を取り除くにはスマホを放棄し、ネット電波の届かない離島にでも行くしかありません。

適切な条件のうちにインターネットに接続できることは、守られるべき人権の一つだという見方もあります。これには私も賛成します。ネットがあるのとないのとでは、個人の主張を届けられる範囲が変わってきますから。でも一方で、オンラインで意義主張を発信すればするほど、思想家や活動家としてのレッテルを貼られ監視される可能性があるのも事実です。

 

インターネットが普及することで、私たちの生活は自由になり、豊かになり、便利になるというのは、もはや神話でしかないのかもしれません。

 

Originally posted on Medium on Oct. 21st, 2019.