はな劇場

地下1階。土壁に囲まれた、アップライトピアノとステージだけの場末パブ。Googleマップには載っていません。

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「ちゃんと」なんてしなくていい

コロナが流行する少し前、日本に一時帰国した際に、友人Kといっしょに飲みに行きました。

Kは私より少し年下で、子育てのプレッシャーと結婚生活の不満からあまり満足とはいえない生活を送っていたようです。

そのせいもあってか、したたか飲み過ぎてしまったのです。

 

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飲み過ぎたといっても酒癖が悪いというふうもなく、最後まで楽しいお酒でした。

ただ、彼女が酔っ払って言う口癖がちょっと気になりました。

 

「ちゃんとしなくちゃ、ね」

 

なんどもなんども、このセリフを繰り返す彼女に向かって、私は、

 

「あんた、バカだね。なにいってんの。『ちゃんと』なんてしなくてもいいのよ」

 

と言ってあげたかったのは覚えているのですが、果たして実際にそう伝えたのかどうか、そして私がそういったとしても彼女が覚えているかどうかは、定かではありません・・・

 

聖人君子なんてどこにもいない

日本の教育では、小学校に入ると道徳の授業がありますよね。

私はわりと道徳が好きで、「いつか自分も正しい人間になって、みんなから尊敬されるようになりたい」と思っていました。

小学生の私にとっての身近な聖人君子は学校教諭で、大人になったら学校の先生になりたいとも夢見たものです(で、実際に教育学部まで行きました)。

 

でも、完璧な人間を目指せば目指すほど、現実とのギャップに苦しむことになります。

それに気が付いたのは、ごく最近になってからのこと。

 

他人の成功談を聞くと「すごいな」とか「私もそうなりたい」と思いますよね。

でも、失敗談やちょっとした過ちをシェアすることで、相手に対して親近感を持ったり、より関係を厚いものにすることもあります。

 

これは、以前すでにあちこちのブログで書いているので、読者の方の中には「ああ、またあの話か」と思う方もいらっしゃるでしょう。でも、あえてもう一度語らせていただきます。

 

失敗をあえてさらしてみる

それはまだカナダに来て一年もたたない頃のこと。

夫の古い友人で、日本人とカナダ人のハーフの女性Aさんがいます。とてもフレンドリーな人で、私もすぐに打ち解けて仲良くなりました。

 

そんなAさんにランチに招かれることがあり、私は手土産にレモンケーキを作ったのです。ところが、ケーキ作りが苦手な私ですから、案の定、失敗。

ふわふわしっとりパウンドケーキができるはずだったのに、硬くて「ケーキ」というよりは甘い「ブレッド」という感じになってしまいました。

 

それで、こんな失敗作は持っていけないわと、ゴミ箱に捨てようとしたところ、夫にとめられたのです。

 

「そのケーキ、Aに持っていくヤツでしょ。なんで捨てるの?」

「だって、失敗したのよ。硬くておいしくない」

「でも、食べられるんでしょ? だったら持っていきなよ。Aは喜んでくれるから」

「こんな失敗作、はずかしいよ」

「そんなの、君が(普通の)人間だってことが彼女にバレるだけだろ」

 

もし相手の友人がAさんじゃなくて、こっちで出会った日本人の友人だったら、私はそれでもやっぱり、失敗したケーキは持っていけなかったかもしれません。

相手の家に行く途中のお店で、適当な代替品を買って手土産にしたと思います。

 

Aさんのことをよく知っている夫が、「大丈夫、彼女はそっち(手作り)の方が喜ぶから!」というので、失敗したケーキをそのまま持って行ったのです。

 

「ケーキを焼こうとしたんだけど、ちょっと失敗しちゃって…」と、レモンケーキを手渡すとAさんは、

「わー、ありがとう。失敗?そうなの? 私もよく失敗するから、そういうときは、スライスしてトースターで焼けばおいしいのよ。ありがとう」

と、とてもよろこんでくれたのです。

 

完璧を手放せば幸福は近くなる

昔は、「良い人間になりたい」とか「まっとうな生き方をしたい」と思っていた私ですが、最近は、完璧を目指さない方がかえって幸福感が増すと考えるようになりました。

 

「こんな人になりたい」と理想を持つことは大切です。そこに向かって自分を高めていくことは、とても意義のあることだと思います。

でも、その完璧さや理想をちょっと手放してみると、幸せが少し近づいてくることもあります。

 

もちろん、私はでたらめな生き方をしろと言っているのではありません。

ただ、友人Kのように、いつも「ちゃんと」していないとダメだと思ってしまうと、息苦しくなる、生きづらくなるだけだと思うのです。

 

完璧な人間はどこにもいません。

立派過ぎない人の方が人間的に魅力を感じることもあります。

だから、そんなにいつもいつも「ちゃんと」なんてしてなくていいんだよ、と、次にKに会うときはそう伝えようと思います。

 

さらにいえば、「ちゃんと」していない自分をさらけ出しても、それを受け入れてくれる、そんな人こそが「真の友人」といえるのではないでしょうか。

 

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