【ケチの美学】時間と手間の贈り物
週末、友人の誕生日パーティーに招かれました。誕生日のお祝いに何をプレゼントしようかなと考えた末、昨年の夏に仕込んだラム仕込みの梅酒を贈ることにしました。
贈り物の考え方
日本にいるときはあまり意識したことがなかったのですが、プレゼントを考えるとき、最近はできるだけ「お金を使わない」ギフトを考えるようになりました。
単に、ケチだから、といえばそれまでですが、お金を使って購入したギフトはある意味「一番イージーな」贈り物になってしまうからです。
現在私が住んでいる国は移民大国で、世界中のさまざまな国からの移民で成り立っています。私自身も移民の一人です。
中には経済的に恵まれない国から来た人もいれば、命からがら自国から亡命してきた人もいます。そのような人たちに囲まれていると、単にお金を使っただけのギフトは「送り主の経済力を見せびらかす」ように感じてしまうことがあります。
購入すれば簡単
お金を使ってモノを買ってプレゼントする。これほど安易なギフトはありません。もちろん、お金を費やすわけですし、買い物するときには、相手の好みを考えていろいろ迷ったり悩んだりすることでしょう。
日本人同士であれば、私もあまり悩みません。お互いの経済力がそれほど大きく差があるということは少なく、日本のギフト文化には「相場」というものもありますよね。
ですが、相手やその家族が日本人でない場合は、たとえお金を使ってモノを購入すれば簡単だとわかっていても、なんとなくためらってしまいます。
プライスレスなギフト
そんなわけで、私たち夫婦はなるべく「購入しただけのプレゼント」を贈る行為は避けるようにしています。別に相談してそう決めたわけではなく、自然とそういう風になってしまいました。
手作りのものや、手書きのメッセージ、あるいは日本でしか買えないものなどをプレゼントにすることが多いです。お金を使うより、むしろ時間と手間をかけたギフトの方が、自分がもらう立場であってもうれしいものです。
人によっては「ケチ」だと思うかもしれません。でも私は、「時間+手間+気持ち」はお金に換算できないものだと思うのです。